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私写真集、変わりゆく「変わらない日常」を残すたのしみ方。

今回  #カメラのたのしみ方 をテーマに私が伝えたいと思い浮かんだことは、自分にとっての日常を残すというたのしみ方について書くことにしました。

楽しみ方という表現というよりも、内容としては「その大切さ」を伝えたい方が大きいかもしれせん。ですが、これが写真だからこそできる、年月をかけた楽しみ方、醍醐味のひとつだと確信しています。

1年前にも同様のテーマで記事を書いたのですが、そこからテーマを掘り下げて書き綴った完全版が今回の記事になります。

ゴールとして、私が伝えたいカメラの楽しみ方  (写真の楽しみ方)は
私写真を残していきましょうというものです。

私写真とは、
撮影者自身の身の回りのプライベートを映した写真のこと。

自分の目の前にある
誰に見せるでもない、SNS映えするでもない
変わらない日常、そんな私写真こそ
撮っておいたら最高に愛しくなりますよ
ということをお伝えしたい。

変わらない日常ってなんだろう?

「変わらない日常」ってそもそもなんでしょうか
変わらない日常 というワードから
皆さんはどんなものを思い浮かべますか?

私が思う変わらない日常とは
普段気にも留めない日々そのものを指します。

いつもそこに在る自宅
ベランダから眺める景色
散らかった自室、読みかけの本
目覚めたらまず目に入る妻や子供の表情
行っては帰ってくるを日々繰り返す通勤・通学路
朝、急ぎ足で駆け抜ける駅の改札
行きつけの定食屋の定食、いつもの店員さんのかけ声
畑仕事をしている祖父の姿
居間でお茶を淹れる祖母の姿
酒の席で笑う父の姿
夕食を準備する台所の母の後ろ姿
母が作ってくれた夕食
夏休み、扇風機のまわる居間で甲子園の中継を祖父と観る時間
友達と集まってスマブラやスプラトゥーンを遊ぶ時間
夜中に出かける妻とのご近所デートの時間
街へ出るのに必ず通る橋を渡る瞬間
夕方の静けさを帯びていく空気感
田植えの時期のカエルの大合唱
夜中に点滅する信号

等々、私の中でイメージできるものたち
人の数だけイメージできるそれらはたくさんあるでしょう

写真が好きで写真を撮っていても、自分にとって代わり映えしない日常や身近なものほど、意外と写真に残していない。そんな事ありませんか?

もちろん、そういうものをテーマにきちんと撮っている人もいるでしょう。けれど、今回はそうでない方へ向けたnoteです。

かくいう写真家として活動している私も、そういった日常の写真をあまり撮れていなかったりするので、今更ながら反省しています。

反省したところで、いざそういうものを撮っておけば良かったと思った時には、残念ながらもう撮れませんし、過去には戻れません。時間というのは不可逆です。

始めるのに遅すぎることはないので、
思った時から始めてみましょう。

人は、日常において、慣れてしまうほど変化に鈍感になります。
また、感覚として遅すぎる変化を知覚する事ができません。

例えば、植物が芽から育ち動き、花を咲かせる瞬間を人は知覚できず、知覚できた時には既に花は咲き、その変化は大きなものになっています。

大きな変化の後にようやく知覚できるのです。

趣味から写真を始めて15年近くになりますが、数年前、もっと自分の身のまわりの変わらない日常を写真に残しておけば良かったと痛感した出来事がありました。

生まれ育った家が無くなった

私は物心つく前から幼少期より両親の仕事の関係で、母方の実家に預けられては祖父母の元で育つ日々を多く過ごしました。成長し環境が変わり母方の実家を離れた後も、紆余曲折あり、私にとって本当の実家のように過ごす時間が増え、大切な思い出が詰まっていたのが母方の実家なのです。

赤ん坊の頃からそこで過ごす写真が数多く残っています。
母方の実家で長い時間を過ごした私も弟も、立派なおじいちゃんおばあちゃん子に育ちました。

その家は、区画整理事業の関係で取り壊しが決まっていたのです。20年ほど前、初めて話を聴いた時にはまだ何年も先だと気にも留めていませんでした。当初の事業計画より15年近く遅れ、近年ようやく形になりました。

単に事実とだけ受け止めていた事が、だんだんと取り壊しの日が近づくにつれて現実味を帯びてきました。徐々に視覚的な変化が始まった時には感情的になり、深い悲しみと寂しさを覚えました。

そして時は訪れ、2020年の5月
ついに全てが取り壊されました。

祖父からも撮影を依頼された

この家は、築60年。当時1年かけて建築された家。
曾祖父の代から続いて祖父がまだ若かりし日から、
家族の思い出が詰まった場所です。

私の母や伯父、伯母が生まれ育った場所。
私と弟と母、そして祖父母との思い出が溢れた家。

ある日、祖父から「家を写真に残しておいて欲しい。」と依頼されました。
そう言われた時、
私が写真家で良かったと写真家冥利に尽きる瞬間を強く感じました。

祖父母に妻を紹介できた思い出

私自身が歳を重ねるにつれ、祖父母が元気なうちに結婚して、可愛い妻くらい、家族に、祖父母に紹介したい。言葉に出さずともそんな思いが心の片隅にありました。

そう思いつつ、半ば結婚を諦め独り身を覚悟していた私にも素敵な妻ができ、紹介するため夫婦で祖父母の元を訪れる事ができました。

二人とも「めんこいお嬢さんだこと。」と、笑顔で妻を受け入れてくれ
とても嬉しかったです。※めんこい:方言で「可愛い」の意

これまでずっと妻には敬愛する祖父母の話をしてきました。
妻も、ようやく念願叶って私の祖父母に会えたことが本当に嬉しかったようで、感極まっていました。祖父母が元気なうちにこの瞬間を向かえることができて私も本当に嬉しかったです。

この家で妻と家族の写真を撮影することができて、本当に良かった。

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東京を出られず、撮影を断念

2017年以降、帰省の度に少しずつ意識して頻度を上げて撮影をしてきました。18年、19年と続き、大きな変化が訪れてきたタイミング
最後まで撮りきろうと、あと1年にも満たないラストスパートだと思った矢先
の出来事。
新型コロナウイルスのために、福島県へは帰る事ができなくなり、残念ながらそれは叶わなくなりました。ときどき母から送られてくる写真を見ては、言葉にし難い感情を覚えました。

本当は、どんなことを差し置いてでも飛んでいって撮影したい気持ちがありました。それだけ私にとって人生において大事な瞬間だったからです。

ですが、大切な祖父母や母、妻、そして大切な故郷の人たちの命を脅かしかねない自分のエゴを通すわけにはいきません。どうしてこの大事な時期にと何度も思いましたが、こればかりは仕方がありませんでした。こうして私は妻と共に、東京で大人しく過ごしました。

立派な撮影機材じゃなくて良い。残すことが大事

多くはデジタルの一眼レフ、ミラーレス一眼で撮影していましたが機材にこだわる必要はありません。写真に残すことが第一です。特に人を撮る時には、相手にカメラを意識されるのも嫌なのでスマホでも多くの写真を撮りました。スマホで動画も簡単に残せるようになったので動画も残しました。

変わりゆく「変わらない日常」

ずっと続くと思っていた日常が目に見えて変化して行きました。

ここからは写真を御覧頂ければと思います。
元々は祖父母に贈る写真というのもありますが、わかりやすく写真には日付を印字しています。年月の経過を感じて頂ければ幸いです。

いくつかの写真は同じ構図で撮影する事で、
年月による景観の変化をわかりやすくしています。

納屋の解体

祖父母の農具や野菜を保管していた納屋、
味噌や米を貯蔵していた小屋からまず解体されました。

下の写真は1986年頃
納屋前の盆栽置き場裏で遊ぶまだ1歳数ヶ月の私(母撮影)
こういう写真を撮っていてくれた母には、とても感謝しています。

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近年では盆栽の数はだいぶ減っていました。

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伐採された御神木

ある日帰宅したら、家の前からいつも見えていた御神木がなくなっていて驚いたのを今でも覚えています。病気で内部から朽ちてしまい、倒木する前に安全を考え伐採したそう。景色のトレードマークが消えました。

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庭の変化

垣根をはじめ庭の様子が変わっていきます

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石蔵の取り壊し

いつの間にか車庫も取り壊され、石蔵の解体へ

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離れの解体

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新居の工事始め

区画整理の関係で、位置を移動しそこに新居を建てます。

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母屋の取り壊し

この瞬間まで私が撮影したかったですが、それは叶わなくなりました。母が代わりに撮ってくれた写真です。次帰ったらもうこの家がないというのは心にくるものがありました。

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更地になった土地と、新居

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家族の姿と、変わらない日常

主に祖父母の姿と
此所であった暮らし、自然、日常の写真を時系列でご紹介します。

巨大な瓢箪がとれた時、記念の1枚。
家の敷地で撮った祖父の写真では、これが1番古い。2007年

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瓢箪に筆入れする祖父、見つめる祖母

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居間で甲子園を観戦する祖父母

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タッチザナンバーで脳トレする祖母

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初めてのひ孫の写真を囲む様子

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しめ縄作り

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畑でとれた西瓜

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祖父母と母、私が手伝ってとろろを掘り起こす

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生涯現役の祖父

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祖父が育てた立派な菊の花

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紫陽花を生ける祖母

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毎年、お盆に盆棚を用意する祖父

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夕飯の支度をする母

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友人と談話する様子

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くるみ割りをする祖父

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妻と祖父母

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プレゼントした祖母の米寿祝い写真集を見て微笑む祖母

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今年で祖父は93歳、祖母は88歳になります。
元気に長生きして欲しいです。
これらの写真は、写真集にして祖父母にプレゼントします。
二人とも健康で元気なので
写真集にして贈る事ができる事そのものにも感謝です。

過ぎゆく日常を切り取った写真の価値

スマートフォンの普及に伴い、誰でも高画質なカメラで気軽に写真を撮影して残すことが容易になりました。

InstagramやTwitterではSNS受けする写真で溢れかえっていますが、そういう写真だけではなく

写真に残すことが容易になったからこそ
普段写真にも残していないような身近な被写体に
少しずつ変わっていく「変わらない日常」に

ぜひ目を向けて、写真に残してみてください。

数年後か、数十年後か
振り返る時が訪れた時には
きっとその写真には、かけがえのない大切な時間が映っていますから。

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カメラのたのしみ方

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