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小説「星のように離れて雨のように散った」カバー写真に採用頂きました。

直木賞受賞作家 島本 理生 先生新刊
「星のように離れて雨のように散った」(出版:文藝春秋)

光栄なことに今回、私にとっても思い出深い作品を
カバー写真として採用頂きました。

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改めて島本理生 先生、文藝春秋編集部、デザイナー征矢武氏をはじめ関係者各位に感謝申し上げます。

大雪の中、無我夢中で撮影した1枚

この作品は、2018年1月に東京を襲った大雪の日に撮影した1枚です。
ストロボを用いた撮影で幻想的に吹き荒れる雪と、丸の内通りを映しています。

書籍のカバーを広げて頂くと、オリジナルのように横長の1枚になります。

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先生にもtweetで御紹介いただいています。

ついに形になった初めての1冊

これまでも書籍カバーのオファーは数件お問い合せを頂いたことがあるのですが、最終的にはどれも実現しませんでした。
今回、私にとっても初めての小説のカバー採用となりました。初めての小説が、島本理生先生のこの1冊ということに私自身もとても感銘を受けています。

巻頭からページをめくり物語が始まる1ページ前に、自分の名前を見つけてとても嬉しい気持ちになりました。

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作品の紹介

行方不明の父、未完の『銀河鉄道の夜』、書きかけの小説。三つの未完の物語の中に「私」は何を見い出すのか? 人生の岐路に立つ女子大学院生を通して描く、魂の彷徨の物語。
執筆に先立って著者は、以下のようなエッセイを寄せています。
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(前略)
 もうひとつ分からないのは、宮沢賢治のことだ。
 幼い頃、私はたぶん明確に宮沢賢治作品が嫌いだった。理不尽と唐突な怒りと自己犠牲に溢れ、常に死の気配がして、それでいて、熱くどろりとした生命力も感じる。正直、気味が悪かった。
 ただ、アニメ版の『銀河鉄道の夜』のビデオだけは繰り返し見ていた記憶がある。ますむらひろしさんのファンだったこともあるが、なにより、アニメーションと呼ぶにはあまりに深い銀河の闇に引き込まれた。
 私が一九八三年生まれで、映画が公開されたのは一九八五年なので、おそらく私が六、七歳の頃に失踪して、それ以来、行方不明の実父がまだいた頃に見ていたことも、関係しているように思う。
 だから、大人になり、宗教的な関心から賢治の作品を読み返すようになって、その面白さにようやく目覚めてからも、『銀河鉄道の夜』だけは自分の中でぽっかり浮いている作品だった。
(中略)
 私の手元には、消えた父の残した手紙が一通だけある。その文体からは、私が身内から聞いていた父の人物像とは、かなり異なる印象を受ける。 この連載長編は、主人公の「私」と、消えた父親と、『銀河鉄道の夜』という三つの未完の物語をとおして、銀河の闇のむこうに消えたものを見つけたくて書き始めた。
 じつは数週間前まで、自分がこんな小説を書くとすら思っていなかった。ほんとうの意味で消えた父親について書こうと考えたことがなかったのだ。そしていきなり始まったということは、たぶん、そういう時期やタイミングが来たのではないかと思う。
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「私」をめぐる大いなる冒険の一つの答えが提示される物語をご期待ください。
(文藝春秋BOOKSホームページ紹介文より引用)

私もまだ読み始めたばかりですが、どのような展開になるのか楽しみです。
先生の作品が好きな方はもちろん、小説が好きな方もよろしければぜひお手にとってみてくださいね。

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