好きを発信し続けた先に見えた景色。SNS時代のフォトグラファーの生き方
こんにちは、横田裕市(@yokoichi777)です。
フリーランスのフォトグラファーとして
2009年から活動を始め、今年で10年目になりました。
福島から上京し、新卒でIT企業に就職しました。数年後には会社を辞める予定でしたが、思ったよりも早く2年目で退職。
写真を撮り始めたきっかけ
大学生の頃、CanonのコンデジIXYで趣味として写真を撮り始めました。当時住んでいたマンションのベランダから空を撮るのが好きで、その写真をきっかけに、amanaが運営する写真投稿サイト「fotologue(フォトログ)」と出会います。
fotologueが私を写真家へ導いた
fotologueはサービスリリース当初、完全招待制でした。新規ユーザーは審査を通過しなければ入会できない仕組みだったため、私は審査通過を目指し、福島の風景写真を中心に投稿していました。
残念ながら審査を通過する前に、fotologueは招待制を廃止し、誰でも参加できるサービスへとリニューアルされました。その後、私もアカウントを作成し、写真の投稿を始めました。
サイトには「本日の1枚」や「ランキング」機能があり、「いいね」数によってトップ10にランクインすると、一気に認知される仕組みでした。
コツコツと投稿を続けるうちに、目標にしていたランキング1位を獲得。「本日の1枚」にもピックアップされ、サイト内でユーザーとの交流も生まれました。福島にいながら全国の方々と知り合えたことは、当時の自分にとってかけがえのない財産です。
「本日の1枚」にピックアップされた当時の写真
2007年には、fotologueで知り合った学生9人で写真展を開催しました。多くの方々の支援のおかげで実現できた、貴重な経験です。
学生時代は複数のアルバイトを掛け持ちしながら、写真を撮ったり、東京や大阪の写真展に足を運んだりしていました。fotologueは残念ながら2015年にサービスを終了しましたが、この時の経験は、私の原体験として今も生き続けています。(画面右下ブルーのアイコンで「shany」というHNで活動していました)
最初は一眼レフに全く興味がなく、「なんであんな重いものを持たなければいけないんだ」と思うほどでした。しかし、徐々にコンデジの限界を感じ、Canon EOS 40D + 50mm f1.8 IIを購入。これが私の一眼レフデビューとなりました。
会社員からフリーランスへ
東京の会社で働き始めたものの、仕事と並行して開催した自身の写真展で無理がたたり、体調を崩してしまいました。それをきっかけに、「なぜこの仕事をしているのだろう」と自分自身を見つめ直すようになり、退職を決意。会社には大変申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、これを機にフリーのカメラマンとして活動を始めました。
もともと子どもが好きだったことから家族写真の撮影からスタートし、その後ブライダルや様々な撮影を経て、現在では国内外の風景や人物、観光PRや企業広告の撮影などを請け負うようになりました。
現在の活動
2018年にはSONYと契約し、撮影のほか写真教室の講師やトークショーも担当しています。また、様々なメディアやサービス、出版社向けに国内外の風景を撮影しています(プライベートでも風景、そして妻ばかりですが)。
また、カップル・家族・友達の出張撮影サービス「Lovegraph(ラブグラフ)」では、創業当初はプレイヤーとして活動していましたが、現在は所属カメラマンのマネジメントスタッフとして、ビジネスサイドにも携わっています。
フォトグラファーとSNSの相性
前置きが長くなりましたが、ここからはフリーランスになってからの活動歴を振り返りつつ、時代に合わせた撮影スタイルの変化、そして「フォトグラファーって実際どうなの?」という疑問にもお答えしたいと思います。
あくまで私個人の経験に基づいた話ですので、「こういうフォトグラファーもいるんだ」というくらいの感覚で捉えていただければ幸いです。
フォトグラファーとSNSの相性について
皆さんは、SNSと相性の良い職業と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
ライター、作家、漫画家、詩人、イラストレーター、アーティスト、パフォーマー、声優、俳優など、表現をアウトプットする仕事は、SNSとの相性が非常に良いと感じています。
では、フォトグラファーはどうでしょうか?
結論から言うと、フォトグラファーも上記で述べた職業と同様に、SNSとの相性が抜群に良いです。
実際、SNSを通じて知名度が向上したり、仕事を依頼されたりすることがあります。私自身、SNSがあったからこそ、フォトグラファーとしてここまで歩んでこられたと実感しています。
SNSを活用して歩んできたフォトグラファー人生
フォトグラファーとして活動を始めた当初、どうやってお金を稼いでいこうかと考えた際に、真っ先に浮かんだのが家族写真でした。子どもが好きなので、子どもの写真や家族写真を軸に頑張ろうと決めました。
ここからは、どのような撮影でお金を頂いてきたのかを、時代別に紹介していきます。
2009〜2011年 mixi時代
日本を代表するSNS、mixiがまだ賑わっていた頃です。私は家族写真を撮るために、まずmixiで顧客を探そうと考えました。当時のmixiで最も価値があったのは「コミュニティ」です。そこで、小さなお子さんがいるママさんコミュニティから顧客を獲得する計画を立て、実行に移しました。
私はmixiで依頼が獲得できると確信していました。実際にコミュニティ経由で多くの方を撮影することができました。当時まだ赤ちゃんだったお子さんが、毎年依頼してくださるお得意様になってくださることもあり、その成長を見守ることができるのは、写真家冥利に尽きます。
2011〜2015年 facebook時代
mixiに代わってFacebookが日本で流行し始めました。この頃は特に、個人のセルフブランディングが一大ブームになったように記憶しています。個人事業主はプロフィール写真が重要だという流れに乗り、私もプロフィール写真を数多く撮影しました。
Facebookイベントを通じた様々な企画や人との出会いから撮影依頼を頂くようになり、ブライダル、アパレル、商品撮影、イベント、旅行など、家族写真と並行して撮影するジャンルが広がっていきました。年々、一般向けの撮影から法人向けの撮影へとシフトしていくのを感じました。この時期に多ジャンルの撮影をこなした経験が、今の自分に活きています。
2014〜現在 Twitter、instagram時代
趣味で続けてきたTwitter、そしてInstagramの影響が仕事に現れ始めました。2014年からは、フォロワー数がそれほど多くなくても、国内外で撮影の機会を頂けるようになりました。2017年には「インスタ映え」が流行語大賞に選ばれましたね(笑)。日本企業が個人のSNSの影響力を活用し始めたのもこの頃からです。法人案件や講師業を担うようになったのも、この時期からになります。もともと好きで撮っていた風景写真でお金を頂けるようになったのも、この時期からです。
SNSで写真を発信してきたからこそ、お話を頂けた案件も数多くあります。
これらは、好きで発信し続けてきたからこそ得られた経験です。
Twitterは2009年から、今も変わらず続けています。ピーク時の20代に比べれば投稿頻度は減りましたが(笑)。Instagramは2010年から始めましたが、一度途中で更新を止めてしまったのは反省点です。インスタグラマーと呼べるほどフォロワー数は多くありませんし、Twitterのフォロワー数も1万人を超えていません。それでも、見てくださっている方々のおかげで仕事を頂けていることに感謝しています。
インプットとアウトプットのサイクルが仕事を生む
時代が変わっても、
「発信する→仕事を頂く→発信する→仕事を頂く」
というサイクルは変わりません。好きという気持ちで発信し続けてきたことが、今の自分に繋がっています。
SNSをはじめとするWebは、アウトプットに最適な場所です。
写真が身近になった今、プロとハイアマチュアの垣根はほとんどありません。趣味で写真を撮っている人やインスタグラマーなど、写真で活躍する人が増えています。中でも活躍している人は、アウトプットが上手だと感じています。
思い描いた写真スタイルで経済を回す
会社を辞めてフォトグラファーとして活動を始めましたが、独立当初は決して順風満帆ではありませんでした。働くことがあまり好きではなく、「最低限稼げればいいや」という気持ちで、その日暮らしの生活をしていました。
営業が苦手で、撮影だけでは生計を立てられず、合間にアルバイトをしたり、借金をしたり、気が乗らない仕事でもお金のために撮影したり。そんな経験もしてきました。
しかし、妻と出会ってからは、「ちゃんと稼がなければいけない」という意識が芽生え、人間的にも大きく成長することができました。今では多くの素晴らしい案件で積極的に撮影するようになり、仕事も軌道に乗せることができました。妻には感謝してもしきれません。
大学を卒業する頃には、フォトグラファーとして生きていくという確信がありましたが、今では本当にこの道を選んで良かったと思っています。
誰もがフォトグラファーである時代を生き抜くために
独立した2009年と現在では、フォトグラファーを取り巻く環境は大きく変わりました。InstagramをはじめとするSNSやWeb上のプラットフォームの登場により、多くのフォトグラファーは「自分の撮りたい写真」を貫いて仕事ができるようになってきたと感じています。SNSの普及により、個人がより多くの人の目に触れ、パフォーマンスを発揮できる時代になりました。
私は主に仕事でポートレートを撮ってきましたが、もともとは風景写真が大好きです。
「好きなように旅をしながら、写真を撮って生活できたらいいな」と学生の頃から漠然と思っていましたが、時代がようやく追いついてきました。
「旅先で撮った写真をInstagramに発信することが仕事になる」
そんな日が来るとは、駆け出しの頃は夢にも思っていませんでした。実際に海外で撮影する機会を頂き、感無量です。今では、ポートレートよりも風景写真の需要が高まり、撮影単価も上がっています。
風景が好きな人は風景を、ポートレートが好きな人はポートレートを、アートが好きな人はアートを。自分の好きな写真をWebやSNSを通じて発信できる現代は、自分の写真スタイルに経済を繋げやすくなっています。
自分が発信した作品が、InstagramなどのSNS上で必要としてくれる人に届けば、需要と供給がマッチし、そこに経済が生まれます。
写真が上手いのは大前提。多くのフォトグラファーの中で埋もれないためにはどう動くべきか。日々考えていますが、結局は魅せ方(アウトプット)次第だと感じています。
旅が仕事になる時代
先ほども述べましたが、「旅先で撮った写真がそのまま仕事になる」というのは、フォトグラファーとして活動する上で、これほど楽しいことはありません。
もうその時代は来ていると言っても過言ではありませんが、日本国内の動きはまだ遅いように感じます(これには確実に言語の壁、つまり日本人が英語を話せないことが影響していると思います。英語は必須です)。
海外のInstagramerを見ると、その動きは顕著です。他国のクライアントからオファーを受け、その国を訪れ、自由に写真を撮るだけで報酬を得るというスタイルが増えています。この傾向は今後ますます強まると思いますが、日本でこのような生き方ができているフォトグラファーはまだ一握りです。
これから、このようなスタイルで活躍する日本のフォトグラファーがもっと出てくるべきだと思いますし、私自身もその一人として活動していきたいと考えています。
私自身もありがたいことに、写真のオファーで何度も海外を訪れています。2016年は3カ国を訪れました。もちろん旅費は全てクライアント負担です(2017年は久しぶりに国内を満喫しました 笑)。
過去にあった案件をいくつか紹介します。
観光大使日本代表としてフィンランドへ
2015年から2016年の春にかけて、世界4,000名の中から選ばれ、冬のフィンランドの観光PR企画で3ヶ月間フィンランドに滞在しました。5カ国の仲間と各地を転々としながら、様々なアクティビティを体験するプロジェクト。後にも先にも、これを超える壮大な撮影の冒険はないと思えるほど、濃い経験をさせて頂きました。
幸福の国ブータンの美しさを伝えるために
日本との国交30周年を記念したPR企画で、世界一幸福な国と言われるブータン王国を訪れました。標高約3,000mに位置するこの国は、本当に雲と大地が美しい国でした。
オーロラを求めてノルウェーへ
スカンジナビア政府観光局とtrippieceの企画で、PRとしてノルウェーのトロムソへ。当初の目的はオーロラでしたが、残念ながら見ることができませんでした。この時の悔しさが、後のフィンランドでの活動に活きています。
知る人ぞ知る韓国のローカルスポットを訪ねて
ブータンの旅で知り合った女優の大桃美代子さんからの紹介で、初めて韓国へ行きました。韓国通でもなかなか訪れないような地方のスポットを巡る旅。コアラのマーチなどで有名なロッテが、韓国ではリゾートホテルまで展開しているとは知らず、宿泊したロッテリゾートの規模の大きさに驚きました。
秋のオーロラを求めて、再びフィンランドへ
実は、フィンランドには1年で2度訪れることができました。冬に続いて、秋のフィンランドも少しだけ体験することができました。秋のオーロラが目的でしたが、残念ながら見ることができませんでした。次は夏に訪れたいと強く思います。
国境離島を巡るアイランドホッピングツアー
これは国内の案件ですが、とても珍しく面白い内容でした。内閣府とJTBの企画で、対馬列島、種子島、福江島という、日本の有人離島を妻と周遊しました。なかなか訪れることのない島々を巡り、撮影できたことは、とても素晴らしい体験でした。
このように少しずつではありますが、国内外で活躍できる場が広がっていると実感しています。
ぜひ、自分の写真の力で世界へ飛び出しましょう。最高に楽しいです!
発信するほど良い話が巡ってくる
プロが良い作品を生み出すことは大前提であり、写真家としてはスタート地点に過ぎません。現代では、そこから世の中に露出していく、つまり発信する力が問われています。
より大きなステージで活躍したいなら、世の中に認知されることが重要です。「見てくれる人は見てくれる」という受け身の姿勢では、埋もれてしまいます。
この点を実践できている人や、きちんと考えている人が、SNSでインフルエンサーとして活躍しています。
私の近年の活動も、全て発信してきたからこそ実現できたものです。
・地元郡山市の魅力発信
2015年のフィンランドでの経験を経て、地元福島県郡山市の広報誌の表紙を飾らせて頂きました。その後、年間を通じて郡山市のプロモーション企画の撮影を任されています。地元での撮影ツアーも開催されました。
・Appleの広告に採用
2016年には、iPhoneで撮影した写真が、新しい祝日「山の日」の記念ビジュアルとしてAppleに採用されました。いつも街中で見かけていた「iPhoneで撮影」の広告に自分の写真が使われる日が来るとは、驚きと喜びでいっぱいでした。
・ipa2016にて栄えある賞を受賞
米国に拠点を置く世界的に有名な国際フォトコンテスト「ipa (International Photography Awards)」のプロ部門ネイチャーカテゴリで部門優勝しました。この時、「美瑛の青い池」の写真でAppleと独占契約を結んだ写真家・白石ケントさんから激励のメッセージを頂き、大変光栄でした。
・海外でバズる
実は、日本国内よりも圧倒的に海外のWebメディアに取り上げられることが多いです。2017年1月にフランスの大手アートメディア「fubiz」に取り上げられて以降、「Photographer Yuichi Yokota」として、海外のメディアで数多く特集して頂きました。
フォトグラファーとして駆け出しの頃に比べれば、撮影単価も上がりましたし、いつかは達成したいと思っていた単月売上100万円超えという目標も達成しました(がっつり稼ぐというスタンスではなかった自分にとっては、これは十分に素晴らしいことです)。
独立当時の自分からは想像できないほど、写真でお金を頂けるようになりました。これは本当に、撮影の依頼をくださる企業や人々、そして支えてくれる皆さんのおかげです。
これまで以上に、海外からのInstagramフォロワーも増えています。インスタグラマーと呼べるほどのフォロワー数はまだ少ないので、今後も継続して頑張ります。
発信は、相手に印象を残す魅せ方を意識する。
ただ発信するだけでなく、もう一歩踏み込んで考えるべきなのが「魅せ方」です。ここにセルフブランディングやマーケティングの視点を取り入れ、試行錯誤していく必要があります。これがなかなか難しいのですが、感覚的にやってきた部分も大きいです。今ではビジネス書を読んだり、実践している方々から学んだりしています。
ブランディングやマーケティングまでしっかりできている写真家はまだ一握りです。
より自分に興味を持ってもらうための魅せ方。写真以外の言葉や姿勢なども含めたコンテンツの力。
この点については、同じくフォトグラファーの保井崇志さんも有料マガジンで「自分のサブタイトルを見つけること」の重要性を説いています。
サブタイトルという点でいえば、自分の場合は
といったサブタイトルが挙げられます。これらのサブタイトルを、より効果的に活用していきたいと考えています。
活動の幅を海外に広げる
写真や絵画、工芸など、非言語で伝わる成果物を持つ人は、日本国内だけに活動の場を限定するのは非常にもったいないことです。
国内という狭い市場でパイを奪い合う必要はありません。日本だけでなく海外も視野に入れて活動することは、今の時代不可欠だと強く感じています。
私の目標の一つに、「InstagramやFacebook経由で海外から撮影の仕事を頂く」というものがありましたが、これは既に達成しています。
気の乗らない仕事は断ろう
活躍の場が広がると、大小様々な依頼が舞い込んできます。
割に合わないと感じたり、お金のためだけにやるような仕事は、自分の気持ちに素直に従って断りましょう。自分がやる必要のない単純作業は外注しましょう(例:大量の商品写真の切り抜き加工など)。
意外とフリーな時間を確保しておかないと、いざという時に最高の依頼が来ても、先約のせいで動けないという事態になりかねません。フレキシブルに動ける時間を確保しておくことは重要です。自分の気持ちが乗ることに時間と労力を使った方が、何倍も楽しいですし、良い仕事が続いていきます。
これからのフォトグラファー像を探して
これまで述べてきたように、私はWebありき、SNSありきでフォトグラファーとして活動してきました。
このスタンスは今後も変わらないと思いますが、2018年以降、どのようなトレンドが生まれ、どんな撮影に出会えるのか、今からとても楽しみです。
SNSがなくなったら仕事ができない、ということにならないように、人づての依頼も大切に、アナログな繋がりも忘れずにいたいと思います。
私の写真は、師匠もいなければ写真学校にも通っておらず、独学と情熱だけでここまでやってきました。「なんとかなる(ケ・セラ・セラ)」という言葉を座右の銘の一つにしていますが、本当になんとかなって、今年で10年目です。
写真はますます楽しくなり、飽きることはありません。
結論として、私にとってフォトグラファーは、とてもやりがいがあり、楽しい仕事です。私の生き様そのものです。
SNSをはじめとしたWebで発信しなくても、素晴らしい仕事をしているフォトグラファーはたくさんいます。
その一方で、私のようにSNSを通じて夢を叶えていくフォトグラファーもいる。このnoteを通して、そんなメッセージを伝えることができれば幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。