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体育が嫌いだった話。

こんにちは、横田裕市(@yokoichi777)です。

学校の「体育」について、自分の体験を交えたお話。

実は学校生活で一番キライだった授業は「体育」

子供の頃から、運動をする、体を動かす事は好きです。
子供の頃から山遊びや、学生時代のスノボ
3年前に冬のフィンランドに行った時も冒険家の如くハードなアウトドアをこなし、今は登山も楽しんでいます。

ですが、学校の体育の授業は
あまり好きではありませんでした。

それはなぜか?
実は、私は球技が下手な人間だったんですね。
これだけで分かる人には分かるかと思います。

学生の頃の体育って、

1.球技が下手
2.走るの遅い

この2つから男子内でスクールカーストがありますよね。

球技が得意な人種と下手な人種を同じチームで編成してゲームをすると、どうしてもチーム内で問題が起きます。下手な人間にはパスも回ってこなくなりますし、

ゲームが始まっても下手な人間からすると
早く終わってほしい、終わるまでが拷問みたいな時間になりますよね。

球技ができないだけで、
中高で一度も体育の成績で5段階評価の5をもらったことがなかった気がします。いつも3でした。

こればかりは学生ながらに、ある意味埋められない能力差を思い知らされた気もします。笑

自分が下手なために、チームの上手い人間の迷惑になるのも嫌だなぁと思いましたし練習しても上手くならないから、これは完全に向き不向きの問題だろうと子供ながらに割り切っていました。

かなしかったのは、新しいクラスになり、新しい交友関係ができた時
ある生徒はバリバリに球技が上手い人間だったんですが、体育の授業で同じチームでバスケットをした際に
自分は下手で、彼は上手で、体育の授業後から明らかに態度が変わったんですよね。

自然と察して交流はなくなりましたが
「ああ、Aくんはそういうところで人を見るのか」と残念に思ったものです。つらみ。

中には体育が嫌いになったというだけでなく、
そういった経験から球技やスポーツそのものを嫌いになりそのまま大人になる人もいるでしょう。
これって本当に学校側のまともじゃない教育の被害者だと思うんです。

自分は幸いそこまではなりませんでしたが、
単に今思い返せば、あれのどこが健全な教育カリキュラムのひとつなのだろうかとすら思います。

最近↓のようなジムトレーニングの意見が話題になっていました。

これも学校教育・体育の在り方のせいですよね。

これって今の小中高の体育でも健在してるんですかね?

無くなってるに越したことはないと思ってるんですが、
まだ残ってるとしたら、本当に日本の教育はほんとオワコンですね。。

人それぞれの得意不得意を認め合うこと、
子どもたちがそれぞれトラウマにならないような健全な教育方針をとってほしいものです。

調べてみたらcakesでも山内マリコさんが記事を書いてました

そんなこんなで、体育は最悪でしたが
部活では、中学は柔道部、高校では弓道部といった”道”で経験を積んできました。
これは心から糧になっていると感じています。精神鍛錬とかも含め。

特に弓は自分にとってとても良かった。
またいつか趣味として再開したいです。

こういう事があってもトラウマになりえないというのは、
やっぱり体育の嫌な体験に取って代わる人間関係や環境があったからなのかなと、自己を振り返ってみて感じますね。

子供の頃から学校教育で誰もが多様性を認め合い、
尊重し合える健全な社会が浸透すれば良いなぁ
と思います。

どうあれ、学生時代のこういう部分を思い出すと
元気にやれている今が本当にありがたい。そう思える毎日です。


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